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カルチャースタディーズ研究所は
社会デザイン研究者の
三浦 展が主宰する、
消費・文化・都市研究のための
シンクタンクです。

カルチャースタディーズ 30代インタビュー 第4回

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メゾン青樹ロイヤルアネックスオーナー 青木純さん
【略歴】1975年東京都豊島区生まれ。中古不動産の仲介実務や不動産ポータルサイトの運営を経て、2011年1月に祖父の代からの マンション大家業を継ぐ。2012年6月の日経ビジネスで「行列のできる賃貸マンションを生んだ36歳」と紹介されるなど 「賃貸カスタマイズ」を代表とする、住まい手目線の新しい賃貸のカタチを提案して業界やメディアの注目を集めている。 三浦展「日本人はこれから何を買うのか?~超おひとりさま社会」の消費と行動」(光文社新書)にも登場。

壁紙を選べる賃貸、しかもオーナー負担で。そんな楽しい賃貸住宅がある。それどころかリノベーションまで、費用をオーナー負担で、住民と一緒に話し合いながら行う。加えて、住民同士がつながりあうためのリビングまであるんだって!
そんな夢のような不動産業が登場した。オーナーの青木さんにインタビューした。 >メゾン青樹ロイヤルアネックス Webサイト

マンション全体がシェアハウスになっちゃってますね

三浦 展(以下 三浦):今日は、青木さんに、まず青木さんの原体験についてお聞きしたいのと、二番目には、不動産屋さんにお勤めになった経験から、もっと住まいを楽しくしたいと思われた経緯、三つ目は、僕はこの間メゾン青樹を拝見して、問題意識で一番気に入ったのは、リビングがシェアできる、という点なので、そのことについて。その三点です。
まず原体験。ご自分の育った古い家を壊してマンションにした時のこと。面白いなと思ったのは、それが25年前ですよね。だからバブルの初期で、自分の家が壊されていくとか、マンションまで壊されていくのを見るという経験というのは、すごくその時代特有の、それまでは無かった経験だと思うんですよね。やはり、壊れていくものを見たという経験って、新しいものができる以上に、人に何かを残すと思うんですよ。私の原体験は、『高級住宅地』という本にも書いたんですが、3歳~5歳までいた床屋の家なんです。萱葺きの家の周りの庭がこんな太い木が立っているわけ。そこから町に出て団地に行ったわけですよ。引っ越すその日にもう木が切られている。今だったら切るなよみたいな感じだけど、高度成長期だし、自分も5歳だし、そんな感慨は無かったけど、今から考えるとあれが一番惜しいんだよね。50歳になるまでは引っ越した団地が原風景だと思っていたんだけど、50歳を過ぎて、いや違うと、こっちの床屋の家だと思い始めた。そういうことを思い出したんですね。おそらく今やられている仕事でも、そういう子ども時代を過ごした家が壊れていくのを見た、という影響はあるのでは?

青木 純(以下 青木):衝撃的でしたね。解体が小学5年生くらいの時で。もともと壊されたところに住んでいたんですね。目の前で解体が行われているのを毎日見ていたわけです。最後、外壁だけが残った状態が一か月くらいあったんですね。それを毎日見ていてすごい衝撃を受けて。あそこはもともと祖父が薬剤師をやっていて、薬局を持っていて。池袋ってもともと闇市があったじゃないですか。その流れで商店みたいなのがすごく求められていたようで、じゃあ自分のところだけじゃなくてスーパーマーケットにしちゃって、いろんな市場みたいな商店を入れようということになって、商店をはじめて、そこから増築して住宅を上に建てたんです。それも全部取り壊して、蔵も取り壊される時に、あんな魅力的な空間が無くなっていってしまう。蔵って最高ですよね。その壊されちゃった建物も、自分が生まれてからずっと住んでいたので思い入れがあって、雪が降るとそこにみんなで雪だるまを作ったりだとか、ご近所さんの中で犬を飼っている人がいて、そこで犬に噛まれた思い出とか、いろんな思い出があって。それが今につながっているのかなと思います。メゾン青樹で屋上を「SoraniwA゜(ソラニワ)」という名前で住民みんなに使えるようにしたのもそうなんですけど、マンションなんだけれど、人が集まっているイメージがすごくあって。

三浦:昔の空間を再現したいという気持ちは。

青木:自然にそうなっているんだと思います。自分の体験からしかものは作れていなくて、今の自宅にもルーフバルコニーがあって空と過ごす時間がすごくある。だから何か屋上を活用しようと思ったし。
壁紙も、取り壊されちゃった初めのおうちは、両親が洋食屋さんを一階でやっていて忙しかったので、ほとんど僕は一人で過ごすとか、兄と二人で過ごす部屋だったんですけど、その時に僕らが寂しくないように壁紙がサーカスの壁紙だったんですよ。玉乗りをしている何かがあったりとか。すごい良かったんですよ。それを今探したいぐらいな。だから孤独じゃなかった感じがしてて。その当時の楽しさとか。家を買った時にも壁紙は自分たちで選んで衝撃を受けて、その楽しさが今に繋がっているんだなと。全部体験なんですよ。

三浦:壁紙も原体験なんだ。

青木:大手銀行系の不動産会社に勤めていた時に、中古のマンションの仲介をやっていたんですね。当時リノベーションまで派手な感じじゃないにしても、内装に関しては家を買った人って結構チャレンジする人が多くって、僕が衝撃を受けたのは広告代理店の人だったんですけど、真っ白い壁にすごい抵抗があったらしくて、鮮やかな水色の壁紙をばーんと貼っていたんですよ。それを見た時に、はじめは何だと思ったんですけど、いると落ち着くんですよね。普通のタワーマンションです。でもすごくそれが良くて。丁度自分でも家を探していた時期で、カミさんにもその衝撃の話をして「すごかったぜ」って言ったら「うちもやろうよ」ってなって、「おい待てよ、うちは白でよかったんだけどな」とか思いながら、よりによってカミさんはすごい真黄色を選んだんですよ。やばいなと思いながらも、なんか楽しそうだからやってみよう、ということでやったら、それがすごかったんですよ。あん時の水色に負けてないくらいの衝撃があったんですよ。で、引越しのサカイのお兄ちゃんたちがみんなそれを見て写メしてる、スゴイスゴイって。こんなに壁の一面に色がつくだけで人が変わるんだな、って衝撃があって。それで実際に賃貸経営を継いで、しばらく空いている部屋を見て回ったんだけど、全然そそらない。白い壁紙が薄汚れて貼ってあって。それで、住む人も決まっていないのに勝手に壁紙を貼っちゃって、つまらない空間を作り続けているんだろう、何かイヤだなと思って。

三浦:なんで不動産屋になろうと思ったんですか。

青木:それは、僕は大学生の時、あまり学校に行かない不良学生だったので、このままじゃ就職ができないかなと思った時に、レストランをやっていた父親が宅建をとったんですよ。「オレがとれるんだからお前もとれるよ」と言われて、じゃあやってみようかなと。そうしたら一発でとれちゃって、自分の道は不動産屋しかないと思って不動産屋に就職しました。

三浦:あのマンションはもともとおじいちゃんのものだったの。

青木:そうです。

三浦:おじいちゃんは不動産屋だったの。

青木:いや、オーナーです。

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